30代は大人の10代

多感な30代が空想や妄想を棚卸しするためのブログ

仮説057 ひとづくり



製品やサービスのPRで最も多い過ちは、「目的」と「手段」の取り違えである。

 今年、AppleWatchを妻へのクリスマスプレゼントにしようと考えている。私の妻は新しいもの好きで、ソフトバンクの発売したPepperを見たときに、憧れを抱いていることを語っていたほどで、AppleWatchのプレゼント計画についても喜んでくれた。(Pepperはさすがに高価なので、今は購入予定はない。)

 

 私自身は時間の確認はiphoneでしているし、腕に重いものがあるのが嫌なので、腕時計をしない。そのため購買知識がなく、周囲の腕時計好きにAppleWatchについてヒアリングをかけているのだが、返ってくる意見の多数が「AppleWatchの機能って必要ですか?」「何が出来るんですか?」と否定的なものであった。

 AppleのWebサイトで見る限りは、iPhoneアプリの簡易利用・遠隔操作やヘルスケア関連の機能が充実しているように見受けられるので、それを話すと「ふーん。」と興味なさそうにリアクションされる。

 その結果、私はAppleWatchの購入をためらっているかといえば、全くもって意思は揺れていないのだが、あまりにもAppleWatchに対する否定的なリアクションが多いため、その現象について少し考えてみた。

 

 私がヒアリングした人たちの多くは、そもそも私が腕時計をつけていないことについて「何でつけないんですか?」と理由を求めてくるのだが、「必要ないから・・・。」と元も子もない回答をすると驚かれた。決まって「時間はどうやって確認するんですか?」「商談中に携帯の画面を見るんですか?」と追撃されるので、「相手の腕時計を見る」「iphoneの画面を見る」など薙ぎ払っていると、最終的には「腕時計は男の唯一の装飾品ですよ!」「腕時計があることで時間にきっちりしていることをアピールするんですよ!」など、腕時計の付加価値アピールが始まる。

 私は腕時計をつけないが、腕時計という製品の「使用機能」と「貴重機能」の両者を十分に理解・評価しているが、それが解かっていないような言い方をされるので困ってしまう。現在、腕時計の市場価値は「貴重機能」にかなりの重きが置かれているように思うが、腕時計ユーザーの最終的なアピールはやはり「貴重機能」であることが多い。

 

 だったら、「AppleWatchの貴重機能を認めてあげたらいいのに・・・」と、思う。 AppleのWEBサイトでは当然のように使用機能と貴重機能をそれぞれ区別してPRされているのだ。

 

 話は戻るが、iPhoneアプリの簡易利用・遠隔操作やヘルスケア関連などの使用機能は手段であり、その目的は人それぞれである。アクティビティの定量化に喜びを感じる人、最新のガジェットに喜びを感じる人、まだ少数派な腕時計をつけている希少価値に喜びを感じる人。

 製品やサービスのPRで最も多い過ちは、「目的」と「手段(機能)」を消費者が取り違えてしまうことである。

 しかし、もっとも悪質なのは、その製品を提供する企業自身がその過ちを犯し、その自覚がない事が多発してしまっていることである。

 

 

「学び」を積み重ねていくという事とは、物事を捉える「視力」が良くなる事である。しかし、注意しなければならない事は「学びの源泉は学問や読書だけでは不十分である」という現実だ。

私は知識欲の強い方であると思う。

会社からの帰路に大型書店があり、立ち寄るたびに本を購入してしまうし、amazoniBooksを閲覧していれば、やはり電子書籍を購入してしまうのだ。(本棚の限界なので、電子書籍を購入する割合が増えた。)

書籍を探すときにはすでに「キーワード」を持っている。日常で気になった事柄があったり、不足する知識を補いたいと思うからだ。最近気になったキーワードとしては「経営企画部」、「習慣化」、そして「手相」など仕事関連から趣味の範囲まで多様であり、財布が許す限り買ってしまい本棚が足りなくなる。

最近では、体系的に学びたいと思うことが増え、資格取得用のテキストを購入するようになった。別に試験を受けるわけではないのだが、一般的なビジネス書と違って土台となる知識や考え方がしっかりと築かれており、知識を積み重ねていく過程が面白く感じるのだ。

 

そういった話題を会社ですると、仕事に関連する書籍を自費で購入することに抵抗のある同僚は少なくない。「会社が出してくれたらいいのに。」や「プライベートな時間まで勉強なんて、私にはできないなあ。」という決まり文句で結ばれる。私はそのようには感じないのだが、書籍の購入を「費用」と捉えるか「投資」と捉えるかの違いだけだろう。

「投資」によって得た知識は基本的には消滅せずに蓄積されていくし、知識が不足した場面や手法を用いる場面では、先人がずっと昔に悩み抜いて積み上げた経験値を残してくれているのだから、それを活用しない理由はない。

 

日経新聞の購読当初と今では、読み方が変わってきたのを実感している。最初は一つ一つの記事を一生懸命読み込んでいたのだが、ガバナンスとか為替とか報道内容の前に基礎知識がなかったからだ。ある程度購読が続くと、報道内容をストーリーで追えるようになり、いわゆる見出し読みができるようになる。中小企業診断士の7科目を網羅した今では、ストーリに加えて利害関係者の存在や関連する法制度とその実状・問題点にまで関心や思考が向くようになった。これは日経新聞に限った話ではなく、顧客企業のIR関連資料を読んでも同様である。

私のここ3年間は、読書量や勉強量が特に多かったのだが、現れた物事から読み取れる情報量や問題意識が明らかに増えているのを実感している。

 

「学び」を積み重ねていくという事とは、物事を捉える「視力」が良くなる事である。視力が良くなると、物事を広く、深く捉える事ができるようになる。大人になりある程度のお金を自由に使えるのだから、読書や勉強は大歓迎だ。

しかし、注意しなければならない事は「学びの源泉は学問や読書だけでは不十分である」という現実だ。

 

 

知性だけが武器である――「読む」から始める大人の勉強術

知性だけが武器である――「読む」から始める大人の勉強術

 

 

中小企業診断士協会が2016一次試験に込めた想いを勝手に解釈してみた。

8月6日、7日と中小企業診断士一次試験を受験してきた。

 

一次試験には7科目あるのだが、それらを一つ一つ学習していくうちに、企業診断士として求められている能力を総合的に鍛えられるのだと考えている。反面、試験対策としては、各科目の過去問から傾向と対策を把握して、勉強を積み重ねていく必要がある。

大手資格予備校で昨年の12月から勉強をはじめて挑んだ初試験であったが、受験前と終えた後で試験に対する印象が様変わりした。

 

受験前に必要だと感じていた能力を端的に挙げれば、「知識・暗記・計算手法・論理的思考力」と、それらを試験日までに積み上げていく「精神的たくましさ(覚悟)」である。予備校の問題集・答練や過去問については、それらの能力の積み重ねでそれなりに対応できたのだが、実際に試験に取り組んでみて先の能力が通用したのは4〜6割程度であった。

 

それ以外はというと、予備校のテキストにも過去問にも全く傾向のない、つまり対策を立てていない、どこから連れてきたのかわからないような問題が多かった。ネット上では、出題傾向に苦言を呈すコメントが多いのも頷けるが、これらの問題で正答を積み重ねていくのに必要だったのは、まさに不確実性に対応するための「情報力」と「問題解決力」であったのだ。

 

「情報力」とは、官公庁が発行している各種ドキュメントへの博識、日経新聞に掲載されるような政治・経済情報の継続的な蓄積、今や経営に欠かせないICT動向である。そして「問題解決力」とは、初見の問題に対してまず解決方法を自分自身で導き出す能力である。

 

おそらく多くの方が最初に学習される「企業経営理論」には、企業が環境の不確実性に対応するために様々な準備をしておく必要があること、そのためには今までのやり方ではない「革新的学習過程」の推進が必要であることが、強く述べられている。

まさに、私たち受験者や予備校にも、試験の不確実性に対応するための組織学習が必要だったのだ。

 

と、中小企業診断士協会が2016一次試験に込めた想いを勝手に解釈してみた。

 

 

中小企業診断士 スピードテキスト (1) 企業経営理論 2016年度

中小企業診断士 スピードテキスト (1) 企業経営理論 2016年度

 

 

最も頭が冴える瞬間は散歩中。哲学の道効果。

京都の私立大学に在学していた頃に、学長先生からお話しいただいたエピソードを社会人になった今でも度々思い出す。

 

「京都という街は、多くの著名な化学者・文学者をたくさん輩出しているのだが、不思議な事にそういう方は東山エリアにゆかりが多い。何故か。東山には哲学の道があるからです。偉大な人物が哲学の道を歩きながら様々な気づきや発見をしたように、人は散歩をしている時に最も脳の働きが良くなります。」

この話を聞いた時、「哲学の道効果」と心の中で名付けた。

 

私は、都内で活動する営業職なので歩く量が多い。1日の歩数が1万5千を超えることもざらである。企業間を徒歩で移動する際に、新しいアイデアの発想や提案書の構想を練ると、オフィスでパソコンに向かって悩む時より、進捗が格段に早いと実感している。悩み事があったり少し気分が塞いだとき、一駅分歩いてみる。ちょうど良い気分転換にもなり、いつの間にか心が晴れたりする。

 

もし、歩行量と脳の活性化に相関関係があると仮定すると、多くの企業で営業畑出身の役員が多いのも頷けるし、何より営業部門の役職者のほとんどが頭の良さを備えている点に納得感がある。時間さえ許せば、社内にいるより散歩をする時間を増やす方が、脳が活性化し、業績を伸ばすことができるかもしれない。

この仮説に対しては、散歩をしながらブログの内容を考えてみることで、検証をしてみたいと思う。

 

  

 

大東京23区散歩 (講談社文庫)

大東京23区散歩 (講談社文庫)

 

 

本当にあった妻との話〜食器の下げ方〜

妻の実家では食後に食器を下げる際、お皿を重ねずに下げる。これは、「重ねてしまうとお皿の裏側まで不要に汚してしまい、洗う面積が増える」との理由らしい。

 

なるほど、一理ある。

運搬効率と洗浄効率を天秤にかけた結果の判断であるから、実に論理的である。新婚間もない頃、我が家でもその方法で食器を下げようと決まった。

 

食事を終える。一息ついた後、妻は食器を重ねずに流し台まで運ぶ。流し台には桶があり、食器を傷つけないよう静かに桶に沈める。

「ぽちゃん」「ぽちゃん」

妻は、水の張った桶に食器を沈めていた。

 

水の張った桶の中で、皿の裏側が不要に汚れていた。